子育ての秘訣
親の力向上委員会
こどもの生きる力を伸ばすために
フリーアナウンサーで認定心理士の阪田 陽子さんからブログ記事の転載を快諾していただいたのでご紹介します。
魔女の宅急便から学ぶ発達心理学
え?キキって、宮崎アニメの「魔女の宅急便」?そう思って下さった方、有難うございます。そうなんです、先日久々に「魔女の宅急便」を見たんですね。
今までぼ〜っと見ていたせいもあり、漠然と「良いお話だなぁ」なんて思っておりましたが心理学的な目線で見てみると、興味深い内容が一杯…!
ということで、今日はその中で、是非ご紹介したいお話を…
飛べなくなったキキは、何故飛べるようになったのか
この理由は二つあるように思いました。
今日は、その理由のうちの一つ「万能感」と自己中心的思考からの発達です。
飛べなくなったキキは言います。
今までは何も考えないで飛べたのに、いまでは飛び方がわからないと…
これは大人への第一歩を踏み出した、と言えるでしょう。
子供は成長過程において「万能感」を持っていて、なんでもできる!と思って生きてきます。
なのに、自分が頑張って褒められる行動をしたにもかかわらず、突然否定された時そんな「何でもできる」自信が失われます。
キキでいえば、折角雨の中届けたお届けモノを、受取人の孫に「私、このパイ嫌いなのよね」と言い放たれます。
キキは初めて、必ず生じるはずだと思っていた感謝とは幻だったのだと気づきます。
そっか、頑張れば何でも自分が思い描いていた通りになると思っていたけど、そうじゃないんだ、と…
そこで初めて「何でも出来る」万能感が失われ、「何も考えないで飛べた自分」も一緒に消滅したんだと思います。
これは、子供の発達においての通過点であります。
頑張って走ったのにリレーの選手になれなかったとか、勉強したのに良い点がとれなかったとか…
はたまた、勉強しても勉強しても、親には「100点じゃないの?」と言われたり…
自分が頑張ったら報われる、という理解を超えた時に自分を満足させるために行動していた自己中心的な考えから他人の行動も考慮にいれなければならないのだ、という、脱中心化がおこります。
自分は他人からみてどういう価値のある人間か、考えるようになるわけですね。
キキの場合は、修行の身として、自分の才能を活かした仕事=宅急便屋さんを選びました。
これは当初、自分の能力に加えて「感謝してもらえて満足感がある」というスタンスがあったと思います。
しかし、その自己中心的考えが打ち砕かれて飛べなくなりました。
ところが、トンボが飛行船事故で危ない目にあっていることが分かった時、自分の才能が、自己満足といった、自分に向いた力として利用するのではなく「自分なら救える、いや、私しか救えないかも」という誰かのために自分の才能を活かす、ということに気づくわけです。
自分の才能に対する確固たる自信が沸きあがってきて、制御不能ながらも飛べるようになります。
そう、最初は代用品のデッキブラシで、言うことを聞いてくれませんでしたね。
これは、自分の力に対して、まだ慣れていない、または役に立つ、という確信が薄かったからではないでしょうか…
そんなキキも、最後は、危うくても、衆人観衆の中、見事救出劇を成功させ、皆に力を認めて貰います。
そこで、ようやく、彼女の「自分の才能に対する確信」と、「自己の確立が」が完成したのだと思います。
最後には描かれていませんでしたが、その後飛ぶ時には、きっと、何も考えずに飛ぶのではなく「これからお届けモノにいくから飛ぶ」といった目的のある思考を持って飛ぶようになったのではないか、と勝手に思っています。
ここで思うのは…
子育ても同じで…
子供は、無意識に「何でも出来る」「私って偉い」と思っている時期がありますが、そのうち「何か目的をもって社会に自分の才能を活かす」ということを自覚する時期がくるはずなのです。
親として、何かできないと、つい「何やっているの!」とか「こんなこともできないの?」と言いがちですが、実はこれは、子供自らその状態に直面してしまったキキのシチュエーションとは違って親が、故意に、子供が持つべき万能感を破壊している訳ですね。
これでは、この先、自分は役立つ人間なのだ、という概念を持つことすら破壊しているのです。
勉強だけでなく「あなたは、これができる」「これが得意」
そしてそれは「誰かのためになるのだ」ということを気付かせる対応を心がけたいものです。
例えば、兄弟の面倒をみてくれたら「あなたはお母さんの変わりができる」とか
ピアノを上手に弾いたら「とても素敵な曲で、心が温かくなったわ」とか
お片づけをしてくれたら「とても助かったわ、こんなにきれいにできるのね」とか…
そう言葉掛けしているうちに、「自分は役に立つ」という思考も確立し、目的をもって何かを成し遂げる、という意識につながります。
そうすれば、受験期に「何のために勉強しているのか」
キキのように、最初は制御不能でも、試行錯誤して飛んでいるうちに、見つけてくれるようになるでしょう。
その目的は、個人によって違うでしょう。
「あの制服が着たい」から受験する、とか
「あの学校に通いたい」から勉強するとか
はたまた「これをするには(例えば、芸術系・音楽系など)この学校が良い」といった目的を見つけて勉強してくれるようになり、それは、最後まで受験に息切れしない、非常に重要な「目的」となるはずです。
子供が目的を見つける途中で制御不能となっているときに、親は対応に困るかもしれませんが、魔女の宅急便での観衆のように見守りながらエールを送ることが大切のように思います。
そのエールは、決して子供の態度に対する否定的評価なのではなく、不安定ながらも飛ぼうとしている子供を励ます対応であるべきなのです。
励ます…
そう、頑張っているわね、と、遅々たる歩みの進歩を見つけて認めてあげる行動です。
そうすれば、勉強に対する万能感が失われて飛べなくなっても今度は、自己中心的考えからの発達=「自分の才能への目的化」を果たして、再び飛ぶことができるようになるでしょう。
さて。
「飛べなくなったキキは何故飛べるようになったのか」
もうひとつの理由が「ウルスラの名言」とアイデンティティーの確立です。
これは後編で是非
羊(2010/12/1)
後藤家の子育て(2) |
経歴 |
NPO法人インテグラルカウンセリングスクール理事 |