子育ての秘訣

親の力向上委員会

こどもの生きる力を伸ばすために

連載2 輝く子どもを育てる

49年間の教育現場で感じた神林氏の児童教育とは。

神林照道 氏
神林照道 氏

はじめに

金子みすゞさんの詩に、次のような作品があります。




私と小鳥と鈴と


私が両手をひろげても、
お空は ちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のやうに、
地面(ぢべた)を速(はや)くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

どんな子どもも一人ひとり顔が違うように、その子の持っている「輝き」「可能性」は、一人ひとり違います。この輝きや可能性をその子に即して育てることが大切です。どんな人間でも、内在する可能性や輝きを持っています。それを、その子に即して拓く子育てをすることがポイントです。
私は、49年間の子どもとのかかわり合いで、輝く子どもを育てることを生きがいにしてきました。

1. どのような輝く子どもの存在


一年生の子どもの日記を紹介します。

おかあさんのきず (12月4日 火 くもり)
ぼくが学校からかえってきたら、おかあさんが、
「ひろし、みて。トムをさんぽさせていたら、ひっぱられて、ひっくりかえったの。」
といいました。そして、きずをしたところは、うでとあしとおでこです。ぼくは、いたそうだなあーっとおもいました。それから、あたまのいちばんたいせつなところもぶつかりました。
ぼくは、おかあさんが、しんぱいになったので、
「1+1は?」
といったら、おかあさんは、げんきなこえで、
「2!」
と、こたえたから、おでことあたまは、だいじょうぶだなー。とおもいました。

お母さんを心配しているひろし君の心が伝わってきます。精いっぱいの知恵を働かせて,お母さんに尋ねたのです。そのひろし君の心がわかったお母さん。すぐに、大きな、元気いっぱいの声で答えています。こんなお母さんと生活しているひろし君は、幸せです。愛情あふれるお母さんとのかかわり合いで、ひろし君は、「やさしさ」を豊かにしています。

この日記から、母と子の睦まじいかかわり合いがよくわかります。ひろし君のお母さんから、「輝く子どもを育てる」とはを学びました。「ことばは、心」です。子どもに寄り添う真の心を私たちが育てないと、輝く子どもは誕生しません。このようなことを実践するのは難しいです。でも、挑戦し続けなければなりません。

ほめられた! (6月3日 金 晴れ)
今日、学校の帰り道、知らないおばさんに声をかけられました。
「△△銀行は、どこなのか教えてくれませんか。」
「ぼくは、ちっよと、わからないのですけれど。」
と答えました。おばさんは、
「そうですか。ありがとうね。」
とおっしゃって、まわりを見ていました。
ぼくは、(ごめんなさい。)と心で言って、駅へ向かいました。でも、心残りがあったので、銀行を探してみました。
すると、銀行が駅のそばにありました。急いで、おばさんのところへもどり、教えてあげました。そして、元気いっぱいの声で、
「おばさん、さようなら!」
と言いました。おばさんも、
「ありがとう!あんたは、えらくなるよ!」
と、大声で言いました。
はずかしかったです。こんなにほめられたのは、はじめてです。電車に乗ってからも、心臓がドキドキしていました。

このおばさんもひろし君のお母さんに負けないくらい、子どもの心がよくわかっています。だから、銀行を教えてくれた子どもに実にさわやかなことばをかけたのです。このおばさんの場合も、話し方や表現の方法、技術を学んだとは思えません。人とのかかわり合いは、どうあればよいのかを長年の体験で身につけたに違いありません。

人通りのある歩道だったのでしょう。でも、歩行者は眼中になく、ただ、4年生の子どもへの精いっぱいの感謝の心をことばにしてくださったのです。おばさんのことばには、おばさんの心が表出しています。「ありがとう!」だけでなく、その後に「あんたは、えらくなるよ!」と、自然に発したのです。子どもが、その言葉をどう受け止めるかどうかなんて考えなかったに違いありません。自分の心を叫びとして表出したのです。


輝く子どもを育てる

2. 輝く子どもを育てるために


21世紀を生き抜く力を

子どもにつける力は、「自ら考え、自ら学び、自ら行動する。そして、自ら振り返る。」と言うことです。これは、すぐには身につきません。子どもとかかわる日々でいつも忘れてはならないことです。子どもの様子を見守り、子どもの側に立って子どもとかかわり合う努力が必要なのです。

わたしの前には子どもがいる

古い話です。1964年の東京オリンピックで日本バレーボールチームは、宿敵ソ連に勝ち金メダルに輝きました。その試合をテレビで観ていた時の感動は、今も鮮明に焼き付いています。日本の監督は、大松さんでした。大松さんは、「俺についてこい!」ということで、激しい練習を積みあげました。ソ連に勝つための技を選手に植え付けました。結果は、見事金メダル。

わたしは、この大松さんの「俺についてこい!」を子どもとかかわるときの核にしました。しかし、子どもとかかわるときは、これではだめだということに気付きました。子どもをわたしの枠に入れ込んでしまうのです。子どもは、わたしの様子を敏感に察し、行動するのです。自ら判断して考えたり、動いたりしません。わたしの指示を待つようになったのです。

こんな子どもの様子を見て、私の考えは違うことに気が付きました。子どもをその子に即して育てるには、子どもの側に立たなければならないことに気付いたのです。その結果、180度変換しました。そして、「わたしの前には子どもがいる」を教育実践の信条にしたのです。

ものさし論

朝日新聞に「ひととき」という、読者投稿のコラムがあります。主に女性の方用です。わたしは、このコラムを愛読しています。2001年8月12日付の「ひととき」を紹介します。

一番になれなくても
5月の半ばに幼稚園の母親参観に出席した。
明朗活発な子なので、園生活もバラ色だろうと期待をしていた私。がく然とした。保育期間が短かったとはいえ、息子のスローぶりはあまりある。さえない子という言葉がぴったり。帰り支度をする際も、いちど脱いだスモックをまた着る始末。翌朝、「今日は何でも一番よ」とバスを見送った。夜はプール開きに備えて、水に顔をつける特訓。食欲だけは人並み以上だった息子は、いつの間にか、ほとんどはしをつけなくなっていた。

ハッとした。マニュアル通りのバカ母親をやってのけたのだ。入園したばかりで、新しい環境に必死に慣れようとしていた息子にとって、家庭は安らぎの場でなくてはならなかったのに。
「ママ、僕どんなに一生懸命やっても一番にはなれないんだ」
息子の真剣な言葉に、心がとても痛んだ。ごめんなさい、もう無理強いはしない。どんじりでも不器用でも健やかに育ってくれればいい。産声をあげてくれた、あの瞬間の思いを・・・。気持ちが楽になった。

あれから3カ月。友達もいっぱいできて、毎日元気に通園している。懸念していたプールも、10秒以上潜水できるまでになった。シャンプーの際、いつも泣きじゃくっていた息子。マイペースで頑張ろうね。
(佐賀県東与賀町 名本智子 主婦)

わが子を測るものさしは、わが子にあります。ほかの子どもと比べることができないものさしなのです。ともすると、わが子を測るのにほかの子どものものさしを使うことがあります。このとき使うものさしは、とても長いものさしを持ってくるのです。それを使って、わが子を測るのですから、わが子の劣っているところ、悪いところなど、マイナスの面しか測ってもらいません。わが子の輝き、プラスのところがわからないのです。

だから、わが子をほめるよりは、注意したり、叱ったりしてしまいます。これでは、子どもは輝きません。自信を持った行動をしなくなります。親の期待や願いとだんだん離れていきます。

わが子の良さを知らず知らずに摘み取っているのです。子どもがかわいそうです。わが子を測るものさしは、わが子にあるのです。昨日のわが子を基にしたものさしで、今日のわが子を測るのです。そして、よいところ、昨日と違う輝きを見つけます。それを、わが子に話してあげます。それから、明日の期待をやさしく語ってあげます。それが、わが子の明日のものさしになります。この連続こそ、わが子の価値あるものさしです。

丸ごととらえる

次のような詩を小学生が創っています。

いい子
宿題をちゃんとやればいい子
百点をとればいい子
きらいなものも食べればいい子
朝早く起きればいい子
お行儀が良ければいい子
お使いに行けばいい子
文句を言わなければいい子
お母さんの言う通りにしていればいい子
いつも条件付きでいい子

ぼくが
ぼくのまんまでは
いい子ではないんだなあ

親の願いや期待が先行する、一方的な子どものとらえ方は、子どもを正しくとらえていることにはなりません。ゆがんだ目で、子どもをとらえているのです。これでは、子どもが、気の毒です。

まずは、子どもの側に立って子どもを丸ごととらえてあげるようにしなければなりません。そうすると、子どもがよく見えてきます。マイナス面だけでなく、プラス面も見えてきます。これこそ、子どもを丸ごととらえることになります。このようなとらえ方をすると、子どもは、生き生きします。元気に、自ら生活を創り出します。親の願いや期待に合う姿が、表出します。子どもを丸ごととらえることは、子育ての大切な柱の一つです。

子どもの心のひだにふれる

わたしが一年生と生活していた時のことです。二学期から子どもは、毎日日記をつづります。そこで、保護者の方にも日記をつづっていただきました。なかなか素晴らしい文章が、つづられました。私は、大変に保護者の方から学ぶことができました。
(注:保護者の文章をまとめた「子育て学級日記」参照、近代文藝社刊、1991年発行)

石の重さ (10月4日 木 曇り 国保三枝子)
多摩川の遠足の日のことです。楽しみにしていた遠足は、すっきりと晴れあがり、今頃は、石を拾っているかしら・・・、お弁当を開いている頃かな・・・、もうそろそろ帰る頃だわ・・・等々と時計を見ながら、待っていると、カチャンという門を開ける音。ズタズタ・・・「ただいまあ。」ドアを開けて入って来たその顔は、ぽっと紅潮し、満足そうです。「重かったよー。」と嬉しそうな悲鳴。

「おかえりなさい。ご苦労様。」と肩からおろしたリュックを持ってみてびっくり。何とその重いこと。ゴツゴツしたその感触は、ずっしりとした手応えです。中を見て、又又びっくり。大きな石がゴロゴロと他の荷物を押しのけてどっさり入っていたのです。私の顔は一変し、「ばかねえ、こんな重いのを持ってきて、もっと小さい石を拾ってくればいいのに・・・。」と、批判めいたことを口走ってしまいました。

成暁はその言葉に不思議そうな顔をしながらも、すぐさま、石をひろげて、「これはお父さんのおみやげ、ほら、ゴルフができるでしょ。」と、ゴルフクラブとボールの形の石で実演。「これはお母さんの。磨くときれいになってブローチになるでしょ。これはお兄ちゃんの。しまもようが面白いから。これは色がきれいだから。これは化石みたいだから・・・。」と、いろいろ説明し、最後に「ぞうは大きいでしょ。」と、これまた大きな石で作ってみせました。

私は何ということを言ってしまったのでしょう。こんな小さな肩に家族への思いやりをずっしりと背負ってきてくれたのに。石を探している時も、私達のことを考えながら、拾っていてくれたのに。私は成暁を抱きしめずにはいられませんでした。そして、成暁の気持ちも考えずにヘタな入れ知恵をして、つまらない人間にしてしまうところでした。「人はつらければつらいほど人間を大きくしてくれる。」という神林先生のお教えに感謝し、深く反省致しました。私は、あわてて、「なんて、良い石が見つかったのでしょう。おみやげ重かったのに、どうもありがとう。」と訂正し、愚かな自分に恥ずかしい気持ちでいっぱいでした。今、その石は、日付と地名が書きこまれ、庭石となって日の光に輝いています。
(「子育て学級日記」 P、43〜P、45より)

お母さんは、成暁くんからとても価値あることを教えてもらったのです。子どもの行動、ことばから自分を振り返ってわが子の心をくみ取ったのです。

子どもの心のひだにふれるためには、子どもに教えられる、子どもに学ぶという構えを持っていないとなかなか子どもには届きません。自分は、大人である、親であるという思いを、潔く捨てるくらいの覚悟で子どもと生活しなければならないのです。なんとしても、挑戦しましょう。子どもは、大人が言うようにはなりません。大人がするようには、すぐになります。このことは、忘れてはなりません。

おわりに

朝日新聞の「ひととき」をもうひとつ紹介します。

えがおりょうきん
4月に下の子が小学校に入学した。とはいえ、上の子は9歳の生意気盛り。幼児とは違う面で手がかかる。1回では言うことを聞かない、口ごたえする等々。それでなくともジメジメした梅雨の季節である。ストレスが重なって私は毎日怒ってばかりいた。

ある日、お湯が出ないのでガス屋さんに来てもらうと、給湯器の取り換えが必要とのこと。値段は「5万円です」。給料日の3日前である。親の気も知らないで、2人の息子は相変わらずケンカばかりしている。「うるさい!」。私はキレて怒鳴った。2人は2階へ駆け上がった。どれくらいたっただろうか。台所にいると2人がおずおずと近づいてくる。不機嫌な顔を向けると、兄は後ろ手に隠していた小さな封筒をそっと差し出した。

見ると一生懸命な文字で「おかあさんへ、えがおりょうきん、500円」と書いてあった。中には確かに500円玉が1枚入っているようだ。私ハッとした。笑おうと思ったが、が涙がポロポロ出てきた。それから早速、兄にニッコリ、弟にニッコリ、笑いかけた。すると、子どもたちの顔が何とうれしそうに輝くことか。

「えがおりょうきん」は私の宝物となった。笑顔を忘れそうになったとき、その袋をちらりと見る。すると何が一番大切か思い出せる。
子どもは、大切な宝です。かけがえのないひとりの人間であります。その子どもとかかわり合う時間は、短いです。でも、この時期にどのようにかかわり合うかによって、子どもの成長は違ってきます。わが子を確かに見守り、わが子にふさわしい道をわが子に即して選んであげましょう。

短い期間の子育ては、難しいこと、悩むこと、迷うことなどがたくさんあります。これらの壁を乗り越えることにこそ、生きがいが存在します。
「辛」いと思ったら、一呼吸してください。この「一(ひと)」を「辛」に加えてください。そうすると、辛が幸に変わります。子育ては、幸せを、喜びをたくさん与えてくれます。明日のわが子の姿をプラス思考で考えて、わが子にかかわり合ってください。

鼠(2009/08/15)

経歴

元新潟大学教育学部附属小学校教諭
元成蹊小学校教諭(専門:国語教務主任)
元国立学園小学校校長
元さとえ学園小学校副校長(埼玉県)
現在に至る73歳

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